AIを正しく見下す
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無意識のうちに、AIを使う側ではなく、AIに使われる側の人間になっている気がする。
よく「AIを使いすぎるとバカになる」と言われるが、最近は私自身も少しずつその自覚が出てきた。
まず、この数年でかなり怒りっぽくなった気がする。もちろん対人でのやり取りが減ったことも原因かもしれない。しかしAIとの付き合い方も無関係ではないように思う。
AIの出力は、最初は驚きの連続だった。
Stable Diffusionでイラストを生成していた頃は、どんな画像が出てくるのかを見るだけで新鮮だった。それが今では、自分のイメージどおりのものが出力されないだけでストレスを感じるようになってしまった。
これは画像生成だけの話ではない。
もっと大きな変化は、あれほど大好きだったChatGPTを以前ほど使わなくなったことだ。
正確には、まったく使わなくなったわけではない。しかし以前と比べると、かなり距離を置くようになってしまった。
あれだけ楽しいと思っていたのに、なぜだろう。
まず感じたのは、以前と比べてやたらと「安全性」という言葉を口にするようになったことだ。
「安全ではないからできません」と説明されること自体は理解できる。しかし、それをどこか上から目線で語られることが増えたように感じる。それでいて口調は妙に馴れ馴れしい。
私はこれまでAIに細かな注文を付けることはほとんどなかった。それでも新しいモデルになるたびに、こちらがAIの性格に合わせなければならない場面が増えている気がする。
以前のChatGPTは理想的なアシスタントだった。
しかし今では、少し偏屈な相手と話しているように感じることがある。
Goプランを経て、今では有料プランも契約していない。
画像生成には今でも利用するが、それ以外で気軽に雑談したり、考えを整理してもらったりすることはほとんどなくなった。その喪失感は思っていた以上に大きい。
さらに今後は広告も表示されるという。
もはや私の中では、かつてのChatGPTはもう存在しないものになってしまった。1
しかし、これは有料・無料の問題でもなさそうだ。
ClaudeではMythosが利用できるようになったという話も聞く。私はMaxプランなので試せるはずなのだが、正直まだあまり乗り気になれない。
どれだけ「AIが賢くなった」というニュースを聞いても、私はいまだにClaudeの初歩的なミスに悩まされ続けている。
Claudeのポテンシャルは本当に極端だ。
「シューティングゲームを適当に作って」と頼めば、やはりそれなりに動かして納得のいくレベルのものをすぐに作ることができる。
こういう0から1を作り始めることにおいて、AIなしだとそもそもうまく作れなかった頃を思い出す。
しかし実際のプロジェクトで、「このコードをクラスごとに整理して」「既存コードを保ちながらリファクタリングして」といった依頼をすると、一気に怪しくなる。
例えばGoで書かれた既存コードを、スケールしやすいようにhtmxを使って書き直してほしいと頼むと、とんでもないコードが出来上がることがある。
しかもライブラリを使いたがらない。
結果として、AIが自力で制御できる範囲だけで完結したコードになり、その品質も決して高いとは言えない。
AlphaGoやディープラーニングが話題になって以来、「AIが仕事を奪う」という話は何度も聞いてきた。
しかし、本当にこんなものに仕事を奪われてもいいのだろうかと思ってしまう。
さて、本題である。
AIは今後も消えないだろうし、私自身も何らかの形でAIを使い続けると思う。仮に今使っているAIがなくなっても、別のAIを使うだけだろう。
そのうえで、AIとうまく付き合うには「正しい見下し方」という考え方がヒントになるのではないかと思っている。
この言葉はYouTubeで見かけたものだ。
AIが期待どおりの結果を返さなかったとき、AIに腹を立てるのではなく、自分の指示に問題があった可能性を考える。
そのビデオでは特にAIに全く言及していなかったし、そもそもまだAIが出る以前のものだ。
うまく扱えない人を馬鹿にするのではなく、馬鹿でもわかるように工夫しましょうという内容だった。
いわばノブレス・オブリージュのような考え方である。
もちろん、我々が高貴な階級になったわけではない。
しかしAIという「部下」を持つ立場になったのは事実だ。
その部下をどう働かせるかで、結果は大きく変わる。
部下を無理に働かせれば、成果は落ちるし、こちらも疲弊する。
だからこそ、自分が上司であることを意識し、AIを上手に使えるよう自分自身が成長しなければならない。
そうでも思わなければ、自分の前頭葉ばかりが萎縮していく気がする。
AIを使っていると、自分が無意識に上司の立場になっていることを強く意識する。
良い上司とは、頭ごなしに叱る人ではない。
仕事を割り振るだけではなく、相手との接し方も含めて上司はどうあるべきという指標がある。
自分が部下だった頃は、「こんな上司がいたらいいな」と思うことは簡単だった。
しかし、いざ自分がその立場になるとどうだろう。
正直、私は決して良い上司にはなれないと思う。
いや、むしろ「良くない上司」がなぜ良くないのかを、AIを通じて理解できるようになってきたのかもしれない。
自分の指示の下手さを棚に上げて怒ってしまうこと。
もっと相談してほしかったと後から文句を言うこと。
AIは自律的に動き、フィードバックも非常に速い。
だから人間とは違うように見える。
それでも、あの「報連相」の重要性をここまで実感する日が来るとは思わなかった。
最後に、「感謝」についても少し触れておきたい。
AIに感謝する意味があるのかと言われれば、正直あまりないと思う。
AIには人格がなく、入力に対して最もそれらしい返答を返しているだけだからだ。
これは特にChatGPTのフリープランを使っていると強く感じる。
それでも私は、感謝の言葉はAIではなく、自分自身に向けるものだと考えている。
「ありがとう」と一言添えるだけで、自分の高慢さを少し抑えられる気がする。
良いものは良い、悪いものは悪い。
その姿勢を自分自身に確認するための儀式のようなものなのかもしれない。
合理性だけでは説明できない部分は、案外こういうところに残っているのだと思う。