ブログの停滞と変化
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ブログのことを最近よく考えている。
正確に言うと、ネタがなくなったわけではない。むしろ興味自体はまだある。ただ「書くまでの流れ」がうまく機能しなくなった。
ブログ自体は去年の年末ごろに作った。Hugoで構築し、自作テーマをsubmoduleとして分離する形にした。そのときはそれなりに満足していたのだけれど、新しいMacBookで環境を再現しようとしたとき、思ったより面倒だと感じてしまった。
技術的には大した問題ではない。ただ、一度「面倒だな」と思ってしまうと心理的な距離ができる。そして1ヶ月くらい触らない期間が続くと、完全に手が止まる。
書くこと自体が嫌になったわけではないのがまた厄介で、むしろ思考や疑問は以前と同じように出てくる。
ただ、それをブログに書く前にChatGPTに聞いてしまう。
疑問 → ChatGPTに質問 → その場で整理される → それで満足する
この流れは非常に快適で、しかも端末を選ばない。PCでもiPhoneでも同じセッションが続くので、思考の流れが途切れない。
それに比べるとブログはどうしても摩擦がある。
少なくとも自分のブログは、リポジトリをcloneしてあるPCで書かなければならない。Hugoの環境があり、ビルドして、デプロイするという手順がある。
Markdownという発明や静的サイトジェネレーターは、本来かなりハードルを下げてくれているはずなのに、それでもまだ「環境」が必要になる。
たぶん自分は、そこに少し疲れてしまったのだと思う。
さらに言えば、途中でいくつか余計なものも作ってしまった。
拍手のようなリアクション機能や、簡単なanalyticsの仕組み。
作っているときは楽しかったけれど、今振り返ると、あれは別になくてもよかった気がする。
ブログは結局HTMLを書き出すための仕組みに過ぎない。それ以上のものにしようとすると、途端に「運用」になってしまう。
運用は、今の自分には少し重い。
もう一つ大きかったのは、今まで自分しか知らなかったこのブログの存在を誰かに教えたことかもしれない。
それまでは本当に誰も見ていなかった。アクセス数のことも気にせず、完全に自分のための場所だった。
でも誰かにURLを教えた瞬間、そこに「読者」が生まれる。
すると文章を書くときに、無意識に読者のことを考えてしまう。たとえその読者がいなくても、である。
これは別に悪いことではない。仕事としての発信ならむしろ必要な視点だと思う。
ただ、自分がブログに求めていたものはそういうものではなかった。
ブログは究極的には、ただの壺でいいと思っている。
何かを入れてもいいし、しばらく空でもいい。誰かに見せるためのものでもない。
ただそこに置いてあって、たまに自分が見返して「ああこんなこと考えていたな」と思えればそれでいい。
壺なら、たまに何かを入れるだけでいいのだから。